回想 2003年
RouteZeroの開設
2003年02月 vol.00

日付自体がカウントダウンを示す2003年2月1日に0の名を冠する「RouteZero」を開設した。LGBTなんて言葉すら無かった頃だけど、自分がゲイとしての立場で作るはじめての個人サイトで、間違いなく人生を変えた日のひとつだ。そんな記念日に今ではもう引退したスペースシャトルのコロンビア号が大気圏再突入時に空中分解事故を起こし、宇宙好きとしてはショッキングな初日となった。その翌日には就職活動をスタートさせているけど、事の重大性をまだ分かってなくて強い意志も無いままただその時期が来たからというはじまり方だった。

@ 2023.02.25
ノートからデスクトップ
2003年03月 vol.01

「CRTか液晶か」に時代を感じるけど、はじめてのノートPCはわずか3年で壊れ、以後デスクトップPCも約8年おきに壊れて現在4代目。それ以前はAppleの一体型PC「Machintosh Performa 588」を中高時代にいじっていた。情報を学びたくて一度は実業高校を選ぼうとしたけど、大学でやれと先生に止められ普通科に進学。当時iMacのデザインに憧れつつ大学入学を機にWindowsに切り替えて今に至る。20年前の性能や技術は時代遅れでも、この時の学びが仕事にも大いに役立ってきた。会社はデスクトップからノートへの流れだけども。

@ 2023.03.21
大学4年生
2003年04月 vol.02

大学最後の1年がはじまった。卒業単位は取得済みで卒研・卒論を残すのみ、唯一の授業は付き合い程度のフランス語。どんだけ時間あるんだよ、と羨ましく思うのは当時の生活がいまいち思い出せないからで、就活にバイトに趣味に不確実で雑多な日常があったはずだ。まだ学生の時分で住民票を移してないから、GWを前にして初投票のため宇都宮の実家まで戻っている。4年に1度の統一地方選挙のちょうど5回前で、成人年齢が18歳に引き下げされた今となっては、はじめての選挙が21歳というのは無くはないが遅めのタイミングだ。

@ 2023.04.22
高校野球観戦のはじまり
2003年05月 vol.03

毎日のように日記を書くようになって情報量が多くなってきたが、5月17日習志野秋津球場での高校野球初観戦が人生においても非常に大きな転機だった。今では全然観に行ってないものの、ここから10年近く趣味の中核を成すことになる。そもそも小学生の頃から野球ユニフェチを自覚してきた自分にとって、本物の野球に関わることは画期的で勇気の要ることだった。そんな初めてを一緒に過ごしてくれたみなさんに感謝したい。SARSによりマスクが品薄という日記はドラッグストアでバイトしてたからこそで、今の新型コロナほどの騒ぎは無かった。

@ 2023.05.27
北海道から北九州
2003年06月 vol.04

激動の月だった。最後の祖父母だった父方の祖母が亡くなり渡道、これ以降今日まで北海道に行ってない。この時喪主を務めた伯父もまた昨年亡くなったが、父だけが先に行ってて唐突に訃報が届くところが全く変わってない。北九州へは就活中唯一の最終面接のために行ってきた。はじめての九州、国道1号線と2号線をひたすら走っていく発想から自分も変わってないなと思う。ところが結果不合格だったこの会社で今は管理職として働いているのだから人生はわからないものだ。ゴールは決まっていても、どの道を行くかは自分で選んでいける。

@ 2023.06.24
母校推し
2003年07月 vol.05

大学最後の夏休みがはじまった。希望していた業種における就職活動が失敗に終わり、先行きの不安を隠すかのように高校野球観戦にのめり込んでいった。甲子園へと直接つながる夏の大会は特別な空気があり、中でも母校を応援することの楽しさを知った。現在までに300以上の試合を球場で観戦してきたけど、この夏の母校3回戦で起きた逆転サヨナラ勝ちを超える感動は味わったことがない。母校に対してファンというのはおかしいけど、今でいうところの推しの有り無しで同じ出来事でも何倍も違って見えるということを体感した夏になった。

@ 2023.07.28
最初で最後の甲子園
2003年08月 vol.06

冷夏で30度に満たない日が続いていたなんて、猛暑の今年からすれば羨ましいが、甲子園はすごく暑かった記憶がある。当時は別のコンテンツがあったので日記としては書き残してないが、教習以来初めての高速道路利用で現地入りし、開幕前日の開会式リハーサルから大会2日目降雨ノーゲームとなった倉敷工業vs駒大苫小牧戦まで濃い3日間を過ごした。今のところこれが最初で最後の甲子園観戦で記憶はほぼ無いけど、現地集合で行動を共にしていたBさんが予約してたホテルにこっそり泊まらせてもらってた罪悪感は思い出される。

@ 2023.08.31
就職氷河期
2003年09月 vol.07

就職決まってないのにデジカメ買って野球ばっかり観に行ってるのもそうだけど、授業時間に喫茶店で先生を交えて友人の恋愛相談って、自分にもそんな青春っぽい時代があったのね。就職氷河期の末期で、自分だけが取り残されているわけではなかったし、なんでもいいから就職とも思えず、秋採用もどこか他人事で諦めていたようなところがある。職人になる話は当時の自分には響かなかったけど、気質を見ての的確なアドバイスだったのかなと、今読むと揺さぶられる思いもある。人生にもしもはないけど、振り返ってのこれからはあるのだから。

@ 2023.09.30
中間
2003年10月 vol.08

今個人目標の中間評価と面談をやっている最中だから、卒研の中間発表が中心だった20年前とリンクしてるなと思った。年度という単位が変わらないから10月はそういう時期だし、地図という共通項もある。当時はSVGを使ったWEB地図表示を扱っていて、国土地理院の数値地図データを使っていた。研究というより個人的興味で遊んでいたようなものだけど、形にするためには相当苦労していた様子。そういうストレスは思い出したくもないし覚えていないから、今のつらさなどは過ぎ去っていく出来事であって大したことないのだ、と思えたらいいね。

@ 2023.10.21
ADSL
2003年11月 vol.09

今なら圏央道があって東西移動も楽だけど、当時だって常磐道・外環道を使えばいいものを、行きづらいと言いながらあえて一般道でいろんな道を通ろうとする性分は変わらない。神宮大会をもって高校野球もシーズンオフ、「こんなに観れる年はもうない」というのは正しく、記録によると32日54試合観戦して初年にして最多だ。「ADSLで十分」ってのは嘘だろって思うけど、吾唯足知と同時に時代は進む。学生時代はお金がないのが理由だったけど、科学技術の発展を歓迎しながらも、遠回りで遅い視点を知らなければ便利さも分からない。

@ 2023.12.02
ガラクタな日々
2003年12月 vol.10

徹夜後にバイトとか、風邪引いてゼミとか、大晦日までバイトとか、今とは違う形で忙しそうにしてるけど、テンポ良くて元気そう。ケーキの話とか1ミリも覚えてないけど、ブラジルに帰ったアレックスは今どんな車に乗ってるだろうか。まだ新車2年目からは想像できないけど、愛車プレオ君はおよそ11年後に下取価格1000円のガラクタ扱いになります。それだけ走ったということになるけど、その差額以上の価値を自分は受け取ったと思うし、こうしてまだ旅を続けている。名前や形は変わって無くなってゆくのが分かってたとしても、今を生きるのが価値なんだ。

@ 2023.12.29